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■(1)南宮大社 金山彦命(かなやまひこのみこと)を主祭神に、旧国弊大社で美濃国一の宮として、また全国の鉱山、金属業の総本宮として、今も深い崇敬を集めています。社伝では神武天皇即位の年の創建とされ、慶長5年(1600)の関ケ原合戦で社殿のすべてを焼失。寛永19年(1642)、3代将軍徳川家光が再建したといわれています。広い境内には、本殿・拝殿・楼門など、朱塗りの華麗な姿を並べ、江戸時代の神社建築の代表的な建築物15棟が、国の重要文化財に指定されています。年間を通じ大小50余の祭典が行われ、5月5日の例大祭、11月8日の金山祭(ふいご祭り)などの神事があります。 →南宮大社 例大祭について |
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■(2)大鳥居 高さ21m、鉄製の南宮大社の大鳥居は、東海有数のスケールを誇っています。今では垂井町の名所としてすっかり定着し、新幹線の車窓から間近に眺められる鳥居としても有名です。 |
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■(3)朝倉山真禅院 春は桜、秋は紅葉の名所となる西美濃33霊場の第17番札所が真禅院です。行基(ぎょうき)が創建し、南宮神社(今の南宮大社)の別当寺となったと伝えられています。南宮神社同様、関ケ原合戦の兵火により炎上。家光が再建し、明治初年の神仏分離令によって現在地に移されました。境内には、県下で最古の梵鐘(ぼんしょう)、国指定重要文化財の本地堂や三重の塔、北条政子の寄進と伝わる鉄塔があります。 |
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■(4)金蓮寺 神護山瑠璃光院金蓮寺(しんござんるりこういんこんれんじ)と号し、元々天台宗でしたが、遊行上人が当地へ巡教の折、時宗に改めました。芸人や職人に信仰され、春王丸、安王丸が斬られた悲話の残る寺としても有名で、本堂には春王、安王の木像が安置されています。 |
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■(5)マンボ 地下水を集めて導水する一種の横井戸で農業用水施設として利用されてきました。かつて垂井には百数本のマンボがあったとされますが、現在ではそのほとんどが姿を消してしまいました。わずかに現存するマンボは、洗い場として利用されたり、水田のかんがい用に使われたりしています。 |
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■(6)宮代廃寺 南宮大社の東方500mに位置して、2m余の花崗岩の心礎が残っており、三重の塔があったことが推定されます。白鳳期から奈良時代にかけての寺院跡と思われ、多くの瓦類が出土しています。壬申の乱で功績のあった宮勝木実(みやのすぐりのこのみ)の氏寺であったと考えられています。 |
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■(7)春王、安王の墓 永享の乱(1438)で敗れた足利持氏の遺子、春王丸、安王丸は、結城合戦で幕府方の捕らわれの身となり、京都へ護送の途中、金蓮寺で処刑されました。幼い2人の墓は垂井町字御所野にあり、県指定の史跡となっています。 |
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■(8)九十九坊の石仏 鎌倉時代には栗原山に99の僧坊を持つ久保寺双寺(くぼうじそうでら)があり、隆盛を誇っていたと伝えられています。建武2年(1335)の足利・新田両氏の戦いで焼失したという伝承があり、現在山腹から見つかる石仏、墓石を集めた九十九坊記念塔が山腹斜面に作られています。 |
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■(9)阿弥陀寺(千句の里) 連歌の巨匠飯尾宗祇(いいおそうぎ)が、連衆16名と共に句会を催したことから、千句の里と呼ばれるようになりました。阿弥陀寺27世の住職敬誉(けいよ)上人が表佐千句(別名、十花千句)などを残し、上人の墓がまつられています。 |
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■(10)勝神社 筑後玉垂命(ちくごたまたれのみこと)(武内宿禰(たけのうちすくね))勝氏がまつられているといわれ、本殿北には前方後円墳があります。周囲は約30m、高さ約3mの古墳で、石室をつくった石材が残っています。 |
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■(11)薬師寺 六歌仙の1人、在原業平(ありわらのなりひら)が美濃権守(ごんのかみ)として赴任した元慶3年(879)に建立し、在原業平寺と呼ばれていたといわれています。天明2年(1782)、大本山永平寺47世天海薫元(てんかいくんげん)が再興して、曹洞宗に改宗されました。 |
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■(12)朝倉運動公園 美濃の中山として知られ、詩歌にもよく詠まれた南宮山。朝倉運動公園は南宮山山麓にあり、眺望のすぐれた公園です。また、各種スポーツ、レクリエーション施設が整っており、町民の憩いの場となっています。 |
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