毛利秀元 陣跡 (南宮山 展望台)

2015年11月30日

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 毛利元就の四男穂田元清の子で、主家毛利輝元の養子となり、文禄・慶長の役では、輝元に代わり朝鮮へ出兵。

その後、輝元に実子秀就が生まれると、周防・長門が与えられます。

関ヶ原合戦の際には、西軍に属し、輝元の名代として南宮山に陣を敷きますが、一族の吉川広家の内通により合戦に参加できませんでした。

合戦後、毛利家の領土は減封されたため、長府3万6千石の領主となりました。

吉川の裏切り行為により、幕末まで毛利本家と吉川家は確執を残しました。