岐阜県垂井町観光ガイド
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(1)中山道垂井宿   ■(1)中山道垂井宿
 垂井宿は中山道の宿駅であると同時に美濃路の起点でもあり、交通の要所でした。天保14年(1843)、垂井宿総家数315軒で、商工業者が多く軒を並べていたと記録されています。中町にあった本陣は大名、宮家、公家などの休泊にあてられ、西町にあった脇本陣は本陣の予備として使われました。東町には当時の旅籠亀丸屋が現存しています。現在本龍寺には旧脇本陣の門が移築され、一風変わった太鼓櫓が近接する民家の屋根瓦と相まって、当時の垂井宿をしのぶことができます。

(2)垂井の泉   ■(2)垂井の泉
 岐阜県の名水50選に選ばれた由緒ある泉で、幹まわり8mの大ケヤキ(県指定天然記念物)の根元から湧き出る清水は涸れることを知りません。古くから和歌に詠まれ、「垂井」の地名はここから生まれたといわれています。松尾芭蕉もこの泉を前にして、俳句を残しています。

(3)一里塚と茶所   ■(3)一里塚と茶所
 一里塚は旅人の休憩所として、また人馬を借りる駄賃定めのため、徳川家康が慶長9年(1604)から8年の歳月をかけて江戸日本橋から一里(約4km)ごとに主要街道に築かせたものです。垂井一里塚は112番目で南側1基だけが残り、国の史跡に指定されています。一里塚の隣には弘法さんをまつった茶所があり、街道のおもかげを残しています。

(4)垂井追分道標   ■(4)垂井追分道標
 追分は中山道と美濃路の大切な分岐点でした。ここには宝永6年(1709)、垂井宿の問屋奥山文左衛門が建てた「是より右東海道大垣みち左木曽街道たにぐみみち」と刻まれた自然石の道標があり、中山道250余の道標中7番目に古く、歴史的に非常に価値の高いものです。

(5)中山道ミニ博物館   ■(5)中山道ミニ博物館
 県から「まちかど博物館」第1号に指定され、旅用具や史料などが展示・保存されています。県文化財保護協会長の太田三郎さんがご自宅を提供されており、見学希望の方は事前に予約が必要です。
TEL (0584)22-2897

(6)タルイピアセンター   ■(6)タルイピアセンター
 図書館、歴史民俗資料館、歴史文献センターで構成された文化施設です。歴史民俗資料館では垂井の自然や歴史、文化などを展示物はもちろん映像や音響で体感できます。
開館 10:00〜18:00
休館日 月、毎月最終木曜日(12月除く)
年末年始(12/28〜1/4)
※祝日の場合は翌日

(7)本龍寺・時雨庵   ■(7)本龍寺・時雨庵
 本龍寺の山門や書院の玄関は脇本陣から移築したものといわれています。松尾芭蕉は元禄4年(1691)この寺の住職規外を訪ね、冬篭もりして「作り木の庭をいさめる時雨かな」などを読みました。文化6年(1809)住職里外と白寿坊によって作り木塚をつくり、句碑を建てました。安政2年(1855)化月坊が住職世外とで時雨庵を建て、句会を開き、句碑も建てています。また、明治天皇が北陸東海両道御巡幸の折、この寺で御小休されました。

(8)美濃路松並木   ■(8)美濃路松並木
 美濃路は中山道の垂井宿と、東海道の熱田宿を結ぶ5街道に次ぐ重要な脇街道で、地域にとっての生活道でもありました。追分・綾戸間には、美濃路唯一の松並木が当時の面影を残し、現在、町は保存会などの協力を得て、松並木の保存に努めています。

(9)紙屋塚   ■(9)紙屋塚
 国府に近い垂井では官設抄紙場(すきかみば)ともいえる紙屋がありました。美濃紙の発祥の地といわれ、垂井の泉の清水を利用して、紙を漉いたと思われます。

(10)長屋氏屋敷跡   ■(10)長屋氏屋敷跡
 鎌倉中期頃から戦国期にわたって垂井周辺を治めていた長屋氏。その屋敷跡に残る椿は樹齢500〜600年、樹根は4本あって、寄り添うように歴史の流れを見つめてきました。石碑は天明八年(1788)の建立。

(11)熊坂長範物見の松   ■(11)熊坂長範物見の松
 12世紀の中頃、熊坂長範という大盗賊がおり、平尾の東「熊坂長範隠しうまや」といわれる古墳に馬を隠し、綾戸古墳の松の木から東山道や鎌倉街道の旅人を物見していたという伝説から、この松を熊坂長範物見の松とも呼んでいます。

(12)喪山古墳   ■(12)喪山古墳
 またの名を送葬山古墳ともいわれます。伝説では天稚彦(あめのわかひこ)の墳墓と伝えられています。
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